皆様、こんばんは。
「命の砦」読み終わりました。
病む人がいるなら、我々は断るべきではない。
敷島寛治は長野県信濃山病院に勤務する四十二歳の消化器内科医である。令和二年二月、院長の南郷は横浜港に停泊するクルーズ船内のコロナ患者を受け入れることを決めた。呼吸器内科医も感染症専門医もいない地域病院の決断は、そこで働く人々と家族に大きな試練を与えることになる。敷島がコロナ診療チームに加わって二月後の四月上旬、保健所は信濃山病院の感染症病床を六床から十六床に増床するよう要請する。コロナ診療のすべてを小さな信濃山病院に背負わせようとする地元の体制に院内は紛糾するが…。(小学館サイト引用:命の砦 | 書籍 | 小学館)
読み終わってはいたのですが、色々な思いがあって感想が書けませんでした。
以下感想。
引用しているところがあるので、この本を読んでみたい方はこれ以降は読んでからどうぞ。
読了してブログを書こうと思って何日も考えていました。
考えた結果、一番印象に残ったのは
「誠実さの問題」
というところです。
物事全てこれなのかなと思いました。
本文の中に
「病気で苦しむ人々がいたとき、我々が手を差し伸べるのは、医師だからではありません。人間だからです。もちろん医師であればできることは多いでしょう。けれども治療法のない感染症が相手となれば、医学は役に立ちません。だからこそリウーは言ったのです。『これは誠実さの問題なのだ』と」というところがあり、それに続いて
「物事と戦う唯一の方法は、誠実さということ」という部分があるのですが、これは立場が違えど全てにおいてそうなのかなと思いました。
こうやって色々な場面で誠実に向き合い、戦ってくれる人たちがいるから世の中ってきっと回り続けていけるんだろうなと。
そこでその当時、私たちはどうだったのだろうと思い返してみました。
コロナというわからないものが突然来て、学校はなくなるし、勉強はさせないといけないし。
でも集まれないから塾には来させられないし。
そして入試対策を直前までしたくても、都内に受験しに行った生徒たちは教室に来させられないから本当にどうしよう。
毎日本当に悩みましたね。
何とかして生徒たちとコミュニケーションが取れないか、授業をすることができないか。
医療の現場の重圧とは比べものにはならないですが、私たちも教えるという職にある以上、子どもたちに学習をさせないわけにはいかない、学ぶことを止めてはいけないと思い、必死に何とかしようともがく日々でした。
今までオンラインなんてやったこともなかったのに、先生たちで知恵を絞って動画授業やオンライン授業など、できるものは何でもやってみましたね。
でも始めたら始めたで、朝から晩までオンライン授業の時間割は組まなきゃいけない、それと同時に授業動画の編集しないといけない(自分担当分だけで週に50分動画を27本)、撮影スケジュール組まなきゃいけない、もうただただパソコンとにらめっこです。睡眠も1日5時間もなかったんじゃないかな。私本来たっぷり寝ないとダメな人なんですけどね(本人推奨睡眠時間8時間)。
この短期間で動画の編集は尋常じゃなくスキルは上がりましたからね(笑)
でも、こうやって色々とやったのもきっと誠実さの問題だったのかなと。
世の中を回すなんて大それたことでは全くないですが、自分なりにやれることは最大限にやれたのではないでしょうか。
さぁ、これの続きだと思われる「臨床の砦」も早く読みたい。
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